この記事では万年筆インク1色で描いた作品「清明に吹く風」についての作品解説を書きます。
この「清明に吹く風」は、万年筆インク「休寧松夢」からイメージを拡げて描いた作品です。
私がどんなところからイメージを繋げたのかを書くのとともに、中国の伝統的なお茶や季節の行事、そして建築や服飾について、その中に息づいている吉祥の文化について解説していきたいと思います。
中国の伝統文化の奥深さと面白さの一端をご紹介できれば幸いです。どうぞ、ごゆっくりとお読みください!
作品「清明に吹く風」
インク名の由来は中国安徽省休寧県で生産される松蘿茶から。かつては皇帝にも献上されていた伝統と格式あるお茶です。
中国で二十四節気の清明節は、親族で先祖を祭り野山で遊ぶ祭日。そして王宮では、清明節に最初に熾した火を使ってその年の新茶を煎れ、皇帝により天地へと捧げられます。
大気は光と生命に満ち、人々が賑やかに祝う春の一日。そして、懐かしい思い出がふと胸に訪れて、祈りと再会を願う心に蓮の花が揺れています。
(「インク・ミュージアム」掲載コメント)
【目次】
- インク「休寧松夢」の名前の由来と中国茶の歴史
- 皇帝と祭祀について
- 清明節
- 「祥瑞」から「吉祥」へ
- 紫禁城と建築装飾(①走獣、②飛檐翼角、③格子戸)
- 午門
- 吉祥図案:柳
- 吉祥図案:蝙蝠
- 吉祥図案:蓮花
- 吉祥図案:月季花
- 吉祥図案:博古器物(三彩貼花龍耳瓶)
- 明代の服飾
- 明代の絹織物
- 吉祥図案:霊芝文様
- 吉祥図案:葫蘆(耳環)
- 吉祥図案:鳳凰(髪飾り)
- 吉祥図案:双喜鵲
1.インク「休寧松夢」の名前の由来と中国茶の歴史
最初にインクの名前「休寧松夢」について。
「休寧松夢」という万年筆インクは、中国のインクメーカー「DREAM INK」さんが出しているフラッシュラメインクです。
そのまま塗ると鮮やかなエメラルドグリーン、濃く塗ると孔雀緑~石緑の深い色になり金色のラメが瞬くように輝きます。
フラッシュの色は赤、加水すると僅かですが緑と黄色の遊色が現れるとても美しいインクです。
インクの名前「休寧松夢」の由来は、中国の安徽省黄山市休寧県で生産される松蘿茶から名前をつけたとのことです。
ということで、まずは松蘿茶と中国茶について書いていきます。
「松蘿茶(しょうらちゃ)」とは、世界遺産として名高い黄山に連なる松蘿山周辺で生産されている緑茶です。
その特徴は「三重(色重、香重、味重=強い色、強い香り、強い味)」と言われ、香りはオリーブのようで甘くまろやかで「色绿、香高、味浓(緑色、高い香り、強い味)」が楽しめるそうです。明代には松蘿茶はとても人気となり、偽物も出回るほどだったとか。
唐宋時代までの「蒸す」お茶とは異なり、明代初頭に「炒る」方法が松蘿茶の製法として発明されました。「蒸す」から「炒る」製法へ変わったことにより、製造コストを削減しつつも良い香りが出せるようになったそうです。
画期的なこの製茶法は「炒青法」又は「松蘿法」と呼ばれ、中国全土へと広まっていきました。インクの赤いフラッシュはこの炒る時の炎をイメージしているそうです。
中国の茶の歴史は四千年前に遡ると言われており、茶の聖典『茶経』には伝説の「神農(農業・薬草の神様)」が茶を「発見」したと書かれています。三国時代(3世紀)の書物『広雅』に「餅茶として喫茶した」という記載があるそうです。
茶の原産地とされる中国雲南省には樹齢800年の茶の大木が確認されており、地元の人々によると千年を超える茶樹もあるのだとか。
地元の言い伝えでは「55代に渡って茶を植えてきた」と語り継がれているそうで、毎年新茶の季節になると山の茶樹とそれらを代々守り受け継いできた先祖への感謝の祭りを行います。
その時に謡われる歌には「牛馬や金銀財宝はすぐに失われてしまうから、この肥沃な茶園と茶樹をあなたたちに残します。だから一代一代受け継がれていくように大切にしなければいけません」とあります。(※意訳です)
自然からの恵みが何よりの財産であること、そしてそれを受け継いで次代へ渡していくには途方もない努力も必要であることを知っていて、だからこそ何十代にも渡って貴重な古茶樹の恩恵を守り繋いでくることができた、とても尊い知恵だと思います。
因みに、こうした古木はそれぞれの茶樹ごとに味が異なり、ふくよかで奥深い香りと味わいでまるでお酒のように「お茶に酔う」素晴らしいお茶になるそうで、有名なものになるととんでもないお値段になるそうです。
まさに金銀財宝にも優る宝なのですね。
中国において、茶は庶民から文人や貴族、そして皇帝にも愛されてきました。
中国ではお酒についても古代から豊穣な文化がありますが、特に文人官僚や皇帝は仕事の合間にお酒を呑んで酔っ払うことはできないのでお茶を愛飲していたのだそうです。
同時に、お茶は最初、薬草として用いられたことからある種の神聖さをもつものとしても認識されていました。
そのため、中国では祭祀や葬儀において茶を捧げる習慣が古代からあり、漢代の貴人のお墓である長沙市馬王堆漢墓(紀元前2世紀)からは埋葬品として茶が発掘されています。
そして、清代には冬至節や大晦日の祭祀のために朝廷へ松蘿茶を献上したという記録もあるそうです。
ここで私の中で「休寧松夢」=松蘿茶と朝廷=紫禁城のイメージが繋がってきました。
そしてさらにいくつかの資料を読んでいると「新茶の季節には朝廷へ一番摘みのお茶を献上し、清明節に最初に熾した火を使って煎れたお茶を皇帝が天へ捧げる祭祀を行った」という記述がありました。
なるほど、ではもしかしたら松蘿茶も清明節の祭祀で捧げられていた可能性があるのでは?とワクワクしてきました。
結局、私のリサーチ力では「清明節に行われる皇帝の祭祀」の内容についての資料は見つけられなかったので、松蘿茶が実際に捧げられていたのかは不明なのですが…でも、可能性はゼロではないということでインクを使う度にワクワクしようと思います!笑
とはいえ、中国では二十四節気の春分(3月20日頃)から清明(4月5日)までに摘まれた茶葉を「明前茶」と呼び、最高級のお茶とされてきました。唐の皇帝はこの明前茶を皇帝専用の茶畑から特別に取り寄せるほどだったとか。
特に清明節の時期の新芽には養分がぎっしりと蓄積されていて味も香りもとても良いのだそうです。
では、次に「皇帝が祭祀を執り行う」ことについて書いていきます。
2.皇帝と祭祀について
中国では農耕社会の時代に天地自然への崇拝が生まれ、夏代(紀元前21~16世紀)には王朝による祭祀活動が既に行われていました。農業における収穫(五穀豊穣)は天候に大きく左右されるため、祭祀によって天や農神に保護を願うことは王が統治をする上でも必然であったのでしょう。
そしてそれはその後の歴代王朝の重要な政治活動となっていきました。
特に皇帝は「天子」と呼ばれ「天の命を受け」統治を行う存在でした。そのため、特に天地への祭祀は皇帝のみに許された行為であるとされました。民衆(個人レベル)では祖先の霊を祀ることが忠孝の最たるものとして重要であるとされました。
『礼記』では、天地祭祀は皇帝のみが執り行うことができるとされ、歴代王朝は都城計画の中でも祭祀を行う場所を重要視しました。明・清王朝の都城であった北京では、自然神である天・地・日・月を祀るためにそれぞれ「壇(だん)」を紫禁城の南、北、東、西に配置して建築されています。
また「社稷(しゃしょく)」の祭祀は天地日月、そして祖先への祭りと同じくとても重要な祭祀でした。「社」とは土地の主のこと。「稷」とは五穀の長のこと。農耕社会である中国において皇帝祭祀の中でも重要なものであり、その祭祀のための「社稷壇」は紫禁城の近くに配置されています。
確証はありませんが、もし清明節に新茶を天に捧げる祭祀が行われていたとしたら天壇か社稷壇かな、と想像しております。
3.清明節
「清明節」は二十四節気の「清明」に行われる伝統行事のことです。
「清明」とは「清浄明潔」という言葉を略したもので、天地万物が清らかで生き生きとした様子を表しています。今の暦では4月5日頃が清明節にあたります。
中国における清明節では、雨季の前に先祖のお墓を清め礼拝する「掃墓」と、皆で連れ立って野山へ遊びに行く「踏青」が伝統行事としてあります。
「掃墓」とは日本におけるお彼岸やお盆に近いもので、家族や親戚で連れ立って先祖のお墓へと向かい、雨季が来る前にお墓をきれいに掃除します。そして紙銭(紙で作られたお供え用のお金)を燃やしお供え物をして礼拝し、お墓の地下に住んでいるとされる先祖に加護と平安を祈ります。
中国の社会では「宗法制度」という「祖先を同一とする血縁関係を軸とする共同体」が長く社会基盤となってきました。祖先を祀る儀式を通じて、祖先を敬い一族を治め団結させるのです。
そしてそれは、儒教の「先祖・年長者を敬う」教えと合致すると共に、朝廷の農村における行政管理システムと非常に親和性が高いもので、朝廷による社会統治の基盤でもありました。ですが逆に、統治王朝が幾度も変わりその都度大きな動乱が起きていた激動の歴史の中で生きていくには、この一族の結束力の強さが必然であったのだろうことも想像されます。
「踏青」とは郊外の緑地や川辺へと皆で行くピクニックのことで、唐代頃から始まった習わしです。もともとは古代にあった3月3日「上巳節」が起源と言われています。
上巳節には皆で盛装して郊外へ出かけ、川で身を清め不浄を洗い流しました。それから岸に上がり皆で宴会をしたり若い男女はそこで新しい出会いを求めたりした、「浄化」と「繁栄」の行事でした。
この上巳節の風習は次第に廃れていきますが、春の盛りに皆で野遊びをする風習は清明節に受け継がれていきました。
特に、貴族や高官の家の女性たちは封建的価値観に縛られ、普段は家の外に自由に出ることができずにいました。この清明節の「掃墓」が外にでて春の空気を満喫できる数少ない機会の一つでした。
この清明節の日を、女性たちは着飾って皆で野山へ遊び、川では船に乗って生命力溢れる春の景色を全力で楽しんだのでしょうか。
4.「祥瑞」から「吉祥」へ
「祥瑞」とは、皇帝の徳が高く善政をおこなっていることに対して天が地上に出現させる珍しい動植物や事象のことを指します。
例えば龍、鳳凰、麒麟、白虎や白鹿などの瑞獣。木連理や嘉禾などの植物による符瑞。
殷代に発祥したと言われる祥瑞は、漢代に普及した儒教の思想と結びつき種類が増え多様な祥瑞が記録されてきました。
儒教では陰陽五行、災異瑞祥(天が王の行いに応じて災いか吉兆を地上に降ろす)、天人相関(天の行いと人の行いには相関関係がある)という思想があります。そのため、時の王朝が自らの統治の正当性を補強するために「祥瑞」を利用しました。
しかし、こうした祥瑞は同時に、現王朝の徳が衰えたと否定し別の有徳者に天命が下るとする「易姓革命」の口実にもつながるため、隋代には禁止され関連書物も唐以降はほとんど失われてしまいました。
しかし、「祥瑞」は庶民の間で天がもたらす「吉祥」として世俗化され、災いを防ぐ辟邪と幸福追求の図案として広がっていきました。
この世界の物事や己の運命は全て陰陽の様に良い事も悪いことも絶えず循環している…であれば、吉祥を身に着けることで良い運を招く予祝につながると考えられたのです。
今が辛くても必ず良いことが訪れる、そう考えられるのならば、今この時を越えてゆくことができる。自分自身や家族や友人、仲間への優しさと応援に感じられ、とても素敵な文化であると思います。
以降では、イラストの舞台として描いた「紫禁城」について、そして「吉祥」についてそれぞれ解説をしていきます。
なお、それぞれの吉祥の意味については、描かれた時代や地域、描く組み合わせ、文脈等でここに記述した以上の多種多様な解釈があります。この解説では、たくさんの解釈の中から私の描いたイラストの中に込めたイメージに沿ったものを抽出して書いておりますことを予めご承知おきください。
5.紫禁城と建築装飾(①走獣、②飛檐翼角、③格子戸)
紫禁城は明代の1420年に13年の月日をかけて完成された宮殿で、現在はユネスコ世界文化遺産に登録されている世界最大の木造建築群です。
明・清の歴代皇帝の執政(日常的な政務、各種儀礼の挙行)・生活(皇帝及び家族の寝宮、庭園、戯台)・祭祀や修学鍛錬の場所で、併せてそれらに伴うサービスの場(厨房、製作所、倉庫、様々な仕事に従事する膨大な宦官の生活場所)も含まれ、1,000近い数の建物があったといわれています。
『礼記』に示されている建築規範と陰陽五行思想に則った建物と緻密に計算された空間構成により、敷地面積72万㎡、建物の層建築面積16万㎡に及ぶ巨大且つ多様な機能を持つ宮城です。
紫禁城内では建物の格に応じて装飾が施されています。今回のイラストでは建築装飾として「走獣」と「格子戸」、中国古建築の屋根の特徴である「飛檐翼角」を描きました。
①「走獣(そうじゅう)」とは屋根の降り棟(屋根の四隅の先)にちょこんとのっている小さな神獣や瑞獣たちのことです。
元は屋根瓦を固定するために鉄釘を打ちその上を覆っていた蓋が次第に建築装飾に変化していったものです。中国では奇数が尊ばれ、この「走獣」も建物の格により3・5・7頭と増えていき、最高級の建物では9頭になります(最も特別な建物である紫禁城太和殿(たいわでん)では10番目の小獣装飾が加わっています)。
先頭には鳳凰に乗った仙人(カウント外)がおり、その後ろから龍・鳳凰・獅子・天馬・海馬・・・と神獣たちが続き、最後に龍の九子である嘲鳳(ちょうほう:カウント外)が並びます。
②「飛檐翼角」は走獣がのっている屋根の、軒先が跳ね上がった形状を指すものです。
この軒の両端を跳ね上げた屋根は中国の古建築の特徴の一つです。土壁や磚壁、木製の扉や窓を雨や日差しから守るために屋根は外へと軒を出すようになりました。そうすると軒を支えるために木材を組み合わせるようになり、結果として屋根の両端の軒先が跳ね上がる構造になっていきました。
この両端の跳ね上がった屋根は曲線を描き、軒が水平な屋根よりも美しく柔らかい印象を与えます。特に南方では建築装飾として美しく跳ね上げ、その軒の先端に龍や鶴などの装飾を施したものがたくさんあります。
この跳ね上げた軒は、空を飛ぶ鳥の姿になぞらえて「飛檐翼角」と呼ばれています。
③「格子戸」も建物の格により礼制に従った等級分けがされ、等級によって装飾が異なります。
イラストで描いた格子(3本の組子で菱形の格子を組んだもの)は最も等級の高い格子の文様です。イラストでは描いておりませんが、格子戸の下部分にある裾板や金属板に龍文を施してあり、太和殿では格子戸1枚に57頭の龍文が施されているそうです。(因みに、1等級下がる建物では格子戸の龍文装飾は40頭になるそうです。)
6.午門
「午門(ごもん)」は紫禁城の南大門、つまりメインの正門です。
コの字型の城壁の上に大殿を含む5つの殿閣を持つ大型城楼で「五鳳楼」とも呼ばれています。このイラストでは午門の背面(宮城の中から午門を見た図)を描いています。
午門は宮城への出入り口としての正門でもあり、同時に皇帝が詔書を下し、兵士へ出征を命じ、凱旋した兵士が捕虜を皇帝へ献上する場でもありました。また、罪を犯した官吏への廷杖(棒で叩く刑)を行われる場所でもありました。
中央に3つの穴門があり、一番大きい真ん中の門は皇帝の出入り専用でした。皇帝の他には、皇后が入城(嫁ぐ)する際と科挙の殿試(皇帝による最終試験)の合格者上位3名が宮城を出る際に使用は限られました。東門は文官・武官が使用し、西門は宗室王公が使用しました。
紫禁城の中で暮らす人々にとって、いつも見ている「午門」は正面ではなく…彼ら/彼女らにとって「午門」はどんな象徴だったのだろう?と思いながら描き入れました。
(実際の紫禁城配置図上では、イラストに描いたような午門背面が見えるアングルは太和門になると思うのですが、今回は心象風景として描いておりますので配置上の整合性については何卒ご容赦を…)
7.柳
「柳」は春にいち早く新しい芽をつけることから、生命力の象徴として病や毒虫などを避け、健康長寿をもたらす辟邪の力をもつシンボルとみなされています。
清明節では、柳の枝を髪に挿したり輪を作って頭に載せたりして悪鬼を避け長寿を願う風習があります。唐代では皇帝から大臣へ柳の輪が下賜されたりもしたそうです。女性の髪に柳を挿したり、お墓参りから帰ってきたら子供たちに柳の輪を載せてあげたりして、辟邪と健康長寿を願う民間信仰です。
春の青空に輝く柳の新芽の生命力が、だれかのちからになりますように。そよぐ柳にはそんな願いを込めました。
8.吉祥図案:蝙蝠
「蝙蝠(こうもり)」は中国の建築装飾で沢山見ることができるモチーフです。
中国では蝙蝠は吉祥を表す動物として沢山の建築装飾になっています。その理由は、「蝙蝠(発音:bianfu)」が「遍福(あまねく福が来る」「変福(福に変じる)」と同じ音だからです。
また、蝙蝠は逆さまにぶら下がって眠る習性から逆さまの状態=「倒」が「到」と同じ音であり、そこから「福到(ふくきたる)」につながる符号ともされています。
あらゆる幸福が自分や家族、そして沢山の人々へ訪れるようにと願い、蝶のような美しく可愛らしい姿へとデザインされた蝙蝠たち。中国の伝統建築の窓や扉などの装飾や陶磁器の吉祥図案のなかにたくさん潜んでいるのをぜひ探してみてください。
今回のイラストでは、蝙蝠と蔓草文(「蔓」=「万」のなぞらえ)と組み合わせて、幸福が蔓草の様に絡まり広がり万代続くようにと願いを込めて窓枠の建築装飾としてデザインしました。
9.吉祥図案:蓮花
蓮の花のことで「蓮花」あるいは「荷花」ともいいます。
「蓮は泥で育ちながらも泥に染まらず、水中にありながらも水没しない」といわれ、仏教における人生観と符号し、高潔で崇高な図像として仏教美術のなかで神聖な意味を持つ装飾として多く見られます。
中国においては、仏教伝来以前の古代から蓮花を「天を示す吉祥物」とみなしてきたそうで、仏教的意味合いとともに伝統的で大切な象徴として広く愛されているのだと思います。
「蓮(発音:lian)」は「連」「年」の音と似ていることから、連続や連綿など絶え間ないという意味に通じます。「荷(発音:he)」は「和」や「合」と同じ音で和諧や集合、再会の意味があります。
蓮花には他にも似た音から、清廉の「廉」、恋愛の「恋」、男女の情に通じる「憐(いとおしむ)」があります。また、蓮の生育上の特性から多子多産や恋愛・結婚・出産への祝福の意味、出世・人徳など幅広い意味を示す吉祥図案です。
このイラストでは、大切な人との再会を願う心象風景として蓮花を描きました。
満開に咲く蓮花は明日にも散り始めてしまうかもしれません。しかし、蓮の葉の間から新しい蕾が伸び上がろうとしています。願いは枯れることなく咲き続けていく、そうあって欲しいという私の思いを表現しています。
10.吉祥図案:月季花、瓶
「月季花(日本名:庚申バラ)」は長春花とも呼ばれます。
中国南西部を原産とするバラの一種で、年に数回咲く四季咲きで冬にも美しく花が咲くことから「花の中の皇后」「天下の風流」とも称され、観賞用として北宋時代から広く栽培されています。平和・友情・幸福の象徴であり、花期が長いことから「四季の象徴」の吉祥図として広く親しまれています。
そして、「瓶(発音:ping)」は音韻によるなぞらえとして「平(発音:ping)」と同じことから「平安」を表す吉祥図です。
瓶単独で描かれることは少なく、瓶に何かを組み合わせることで吉祥を意味することが多いです。例えば、瓶に牡丹(富貴を表す)を挿した絵では「富貴平安」という繁栄を願う意味になります。四季の草花を挿すと「四季平安」の意味になります。
このイラストでは、「四季」を意味する月李花を瓶に挿すことで「四季平安」とし、一年中平安であることを願う意味を表現しました。
明の時代には、北方のモンゴル系遊牧民の侵攻・衝突が度々起きていました。それに対抗するために万里の長城の整備や軍隊の配備が行われました。民衆にとって軍事費の増大や兵士として出征することの負担は大きかったのではないかと想像できます。この「四季平安」の吉祥図が古くから普及してきたように、時代や地域が違えど、平安を願う気持ちは共通するのではないかと思いながら丁寧に描き込んだ部分です。
11.吉祥図案:博古器物、三彩貼花龍耳瓶
「博古器物」とは古瓶・古鼎・古樽など古代に作られた器物を指します。中国の文人士族は古典に広く通じ、これら博古器物を博古架と呼ばれる飾り棚に陳列し愛でていました。同じように建築装飾や吉祥画にも古器物が多く用いられています。
今回のイラストでは月季花を挿す瓶(博古器物)として唐三彩の瓶「三彩貼花龍耳瓶(さんさいちょうかりゅうじへい)」を模して描きました。
「唐三彩(とうさんさい)」は、唐代(618年-907年)に作られた釉薬をかけて焼かれた陶器のことです。釉薬三色を組み合わせたものが主であることから三彩と呼ばれます。
7世紀半ばの初期の唐三彩は日用品(容器類)が主でしたが、8世紀には墳墓の副葬品として鎮墓獣や駱駝、武人や仕女の俑が多く生産されるようになります。
「龍耳瓶(りゅうじへい)」は、竜頭が左右から盤口を咥えて、その頸が瓶の胴の肩に伸びて把手となっている形状の瓶です。この龍耳瓶の形は隋代(7世紀初め)の頃には作られ始めたそうです。
「三彩貼花龍耳瓶」は、美しい三彩の釉薬の滲みと、よく見るとキュートな龍の顔、胴体の張りと緊張感のあるフォルムは華麗でとても素敵な唐三彩の瓶です。東京国立博物館の収蔵作品で、重要文化財にも指定されています。
イラストの中では、「四季平安」を祈る表現としての他に、この唐三彩の瓶を描くことで葬送の意味も持たせました。
紫禁城の中の女性は、自分の意志では宮城の外に出ることはできません。
見送ることの叶わなかった人へ、せめて清明節のこの日には九重の門の奥から遠い地へと鎮魂の祈りが届くように。そんなイメージを込めて描きました。
12.服飾について
このイラストでは明代中期の服飾を描いています。
女性の衣装は、琵琶袖の短襖(おう:上着)に馬面裙(くん:巻きスカート)をまとい、その上に霊芝文様の入った袖の長さが肘までの方領半臂(はんぴ:丈の短い上衣)を着用しています。
耳飾りには当時とても流行した葫蘆の耳環、纏め上げた髪には赤や青の宝石を嵌めた金細工の鳳凰を模した挑心(髪飾り)を挿しています。
明王朝はモンゴル族の元王朝を倒して成立しました。服飾制度についても漢民族の伝統復興を掲げ、唐宋代の服飾制度が踏襲されました。また、養蚕と絹織物産業の急速な発展と朝廷による生産管理が行われ、製織技術が非常に高い水準に発展します。
極めて精緻で多彩な服飾を作り上げることができる条件が揃ったことで、多種多様な吉祥文様がうまれました。
以降では、明代の絹織物と服飾について解説をしていきます。
13.明代の絹織物(服飾文化史を少しだけ)
中国における絹織物の歴史はとても古く、最も古いものでは6900年前の象牙盅(「盅」ちゅう:取っ手のついていない小さな杯)に蚕文が刻まれ、紡織に用いる道具も発掘されています。新石器時代の遺跡からは4700年前の絹織物の欠片も発掘されました。殷代以降の王朝はみな蚕を神として祀る風習を持ち続けていました。
紀元前3000年頃に父系士族社会が形成され、農業と手工業が分離し商品の交換の開始から私有制が形成され、やがて階級の分化が現れ、紀元前2000年頃になると奴隷制社会に入り夏王朝が誕生し、やがて夏に代わって殷王朝が成立します。
厳格な等級制度による統治がなされた社会では、服飾を「礼」の要素として、身体を覆う機能の他に「貴賤を分ち、等威を別つ」ための道具として服飾の生産、管理、分配、使用を国家により管理するようになります。
戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)になると中国の奴隷制は崩壊しますが、礼制は社会秩序と行為の規範として「天と地に則り、徳を尊び、民を慈しみ、礼治と徳化を盛んにする」という思想を示し、それを体現するものとして服飾制度が発展していきます。
さて、明代では宮廷と百官の冠服は朝廷が製造を掌握していました。各地に織染局が設置され優れた工匠を集め、朝廷からの割り当てを生産していました。
宮廷と官府で使用する布地は全て冠服制度に基づき紋様や色彩等が決まっていました。製造技術は機密事項でしたが、複雑な文様の織成匹料(※)を製織するには非常に複雑な工程を必要とし、織る時には高さ5mにもなる大型の織機を2人の熟練工が操作しながら織り上げました。織ることのできる量は1日にわずかに2寸(約6.8㎝)。長さ5丈(約17m)の袍料を織り上げるには270日以上もかかったそうです。
この時代の非常に高い水準に発展した製織技術とともに、複雑で寓意を含んだ美しく華やかな吉祥図案が多く考案され、芸術的ともいえる服飾文化が作られていきました。
(※織成匹料:衣服全体のデザインに基づき、事前に各部位の形状や文様の配置を設計して織り出した反物。この設計に従って裁断・縫製すれば1着の衣服が仕立てあがる)
14.霊芝文様(服飾文様)
「霊芝(れいし)」とは万年茸のこと。伝説では延命や蘇りの霊力をもつとされています。そして、実際に薬として服用できることから長寿の象徴です。
また、形状が如意(にょい)に似ていることから「意のままになる」という寓意も含みます。明代の絹織物の文様にはこの霊芝文が多くみられます。(そして吉祥の絵柄の中で、鳳凰や鹿が口にもにゃっとしたものを咥えている場合はほぼこの霊芝です。)
このイラストでは「織金霊芝双距文地妝花紗」の文様をもとにデザインしております(が、実際のこの時代の文様はもっともっと複雑精緻多種多様なものが沢山ありますので、できれば本物を見ていただきたく!)
「如意」とは、もとは「孫の手」のこと。痒い所に届く=「思いのままになる」という意味になり、吉祥のシンボルになったものです。如意は装飾工芸品として玉などで作られ、先端部分に霊芝や蓮などが美しく彫られています。
15.耳環(耳飾り)、葫蘆
明代から清代にかけて葫蘆の形の耳環が流行しました。大小2個の玉珠を約3㎜の金線に繋げ、上部には金の円蓋、下部にはさらに金属製の珠を掛けたりして繊細で美しくデザインされています。
「葫蘆(ころ)」とは瓢箪のことで、子孫繁栄、長寿、辟邪、吉祥の意味を持つ吉祥図案です。
瓢箪の長く伸びる「蔓(発音:wan)」は「万(発音:wan)」と同じで「万代・永遠」を意味します。「葫蘆(発音:hulu)」は「福禄(発音:fulu)」「護禄(発音:hulu)」と通じ、財運に恵まれる幸運の象徴にもなります。明代からより多くの意匠として用いられるようになり、日本でも唐物の茶道具や縁起物などに見ることができます。
いつの時代でも気に入りの装身具を身に着けると、心に気合が入るもの。特別な日だからこそ大切な品を身につけさせてあげたいな、という願いです。
16.挑心(髪飾り)、鳳凰
「挑心」は簪の一種で、お団子状に纏め上げた髪の前面の中央にピンで差し込む髪飾りです。
精緻な金細工に赤や青の宝石や珠玉(真珠)を嵌め込んであります。明代の金工技術は、溶接や象嵌などの技法がより高度に発達しました。簪などは大きく複雑精緻で豪華な作りのものが多くあります。
「鳳凰」は、古代においては神意を伝える霊鳥である「鳳(おおとり)」であり、羽ばたく時に風を起こすと考えられていました。
やがて漢代(紀元前2世紀)には龍とともに皇室のシンボルとなり、宮廷文化の中で龍は皇帝、鳳凰は皇后の象徴とするようになります。そして女性を象徴する吉祥図案となり、夫婦愛や幸福のシンボル、または天下泰平・瑞兆のシンボルとして描かれます。
このイラストでは、髪飾りの主役となる挑心に鳳凰をデザインしました。清明の季節の心地よい風が幸福を呼び寄せるようにと願いを込めています。
17.双喜鵲(カササギ)
「鵲(カササギ)」はスズメ目カラス科の鳥です。中国においては慶事を告げる霊鳥で「鳴くと吉事があらわれる」と言われ「喜鵲(きじゃく)」とも言われています。
七夕の夜に鵲たちが天の川に架かる橋となって織女と牽牛を引き合わせる伝説から「男女の仲をとりもつ瑞鳥」でもあります。
また、中国では「好事成双(好い事が二つ重なる)」を願うことが多く「囍(双喜)」の字が吉祥文としてあり、吉祥のシンボルとなる鳥や魚などはペアで描かれることが多くあります。
冬から春へと季節が移り変わり、大気は光輝く生命の気配に満ち溢れている清明節の日。
どこか浮足立つ人々のざわめきも風に乗って聴こえてくるようです。そんな日に一人悲しみを抱えたままでは、まるで世界から取り残されたような気持になる。
けれども、そんなひとを二羽の喜鵲がそっと見守っています。
もうすぐ喜鵲が賑やかに囀りはじめれば、きっと彼女のもとへ喜ばしい知らせが届くはずです。
以上が私のイラスト作品「清明に吹く風」の解説となります。
大変な長文となりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます!
見てくださった方へ、どうか佳き訪れがありますように…
【参考文献】
『中国服飾史図鑑一』黄能馥 陳娟娟 黄鋼 編著(科学出版社東京、2018年)
『中国服飾史図鑑三』黄能馥 陳娟娟 黄鋼 編著(科学出版社東京、2020年)
『吉祥の文化史』池上麻由子 著(グリーンキャット、2017年)
『中国歴史建築案内』楼慶西 著(TOTO出版、2008年)
『中国の建築装飾』楼慶西 著(科学出版社東京、2021年)
『古代中国の神話と祥瑞』早稲田大学會津八一記念博物館図録(2022年)
『中国の古鏡』根津美術館図録(2011年)
『千古霓裳』漢服北京 編著(化学工業出版社、2022年)
“祭りの歳時記④”丘垣興 著(人民中国インターネット版、2005年4月)